今日は休み。
朝もゆっくり起きた。
急ぎの仕事もない。
だから、ソファに座って動画でも見ようと思った。
でも、10分くらいすると、
なぜか落ち着かなくなる。
「こんなことしてていいのかな」
「もっと勉強した方がいいんじゃないか」
「せっかく時間があるんだから、何かやらないと」
休むための時間なのに、
休んでいる自分にダメ出しをしてしまう。
結局パソコンを開いたり、
仕事のメールを確認したり、
資格の勉強を始めたりする。
そして夜になると、
「休みだったのに、全然休んだ感じがしない」
と思う。
体は休んでいるのに、頭の中ではずっと働いている。
そんな休日があります。
休んでいるのに疲れるのは、頭の中でずっと採点しているから
何もしていない時間に、
「こんなことしていていいのかな」
と思う。
昼寝をすると、
「時間を無駄にした」
と思う。
一日家にいると、
「今日何もできなかったな」
と思う。
こういうとき、休んでいる時間そのものより、
休んでいる自分をずっと評価していることの方が疲れることがあります。
仕事をしている。
勉強している。
家事をしている。
運動している。
こういう時間には、
「ちゃんとしている自分」
という感覚がある。
反対に、
寝ている。
ぼーっとしている。
何となく動画を見ている。
何もしない。
そんな時間になると、
急に、
「自分は何も生み出していない」
という不安が出てくる。
でも、休みってそもそも何かを生み出すための時間ではありません。
「何もしない」と「何もしていない」は少し違う
休んでいると、
「今日は何もしていない」
と思うことがあります。
でも実際には、回復しています。
眠る。
横になる。
好きなものを食べる。
ぼーっとする。
仕事から距離を取る。
どれも成果としては見えません。
資料も完成しない。
売上も上がらない。
資格も増えない。
だから、何もしていないように感じます。
でも、翌日少し頭が回るようになったり、人に優しくできたり、仕事への集中力が戻ったりするなら、
休んだ時間にもちゃんと役割があります。
スマホを充電している時間に、
「このスマホ、何もしてないな」
とはあまり思いません。
充電しているからです。
人間の休息も、少し似ていると思います。
真面目な人ほど「休む資格」を求めてしまう
休むことに罪悪感がある人は、
「疲れたから休む」
だけでは自分を納得させられないことがあります。
「今週これだけ働いたから」
「仕事を全部終わらせたから」
「体調が悪いから」
「昨日遅くまで仕事したから」
何か休んでもいい理由を探す。
逆に言えば、理由が見つからないと、休むことを許せない。
でも本来は、限界まで頑張った人だけが休めるわけではありません。
疲れ切る前にも休めます。
仕事が残っていても休めます。
元気なうちにも休めます。
むしろ動けなくなるまで休まない方が、
後から戻るのが大変になることもあります。
休みの日まで「成果」を求めなくていい
平日は、仕事で成果を求められます。
数字。
期限。
評価。
結果。
だからこそ、休みの日くらいは、
そこから離れてもいいと思います。
でも真面目な人ほど、休日まで成果を求めます。
「今日は本を読んだ」
「運動した」
「部屋を掃除した」
「資格の勉強をした」
何か一つでもやっていれば、
「いい休日だった」と思える。
逆に、昼まで寝て、ご飯を食べて、動画を見て終わると、
「一日無駄にした」と思う。
でも休日の価値を、どれだけ何かを達成したかだけで決めなくてもいいと思います。
「今日はちゃんと休めた」
それも十分いい一日です。
私も、休むことが下手だった時期があります
仕事が忙しかった頃、休みの日にも、仕事のことを考えていました。
パソコンを開かなくても頭の中で、
「月曜日はあれをやらないと」
「この資料どうしよう」
「今のうちに少しやっておこうかな」
と考える。
せっかく休んでいるのに仕事をしていないことが不安になる。
だから、
少しメールを見る。
少し資料を触る。
少し仕事を進める。
すると、なぜか安心する。
でも、翌朝はやっぱり疲れていました。
今思えば、休んでいたのではなく、
仕事をしていない自分への不安を、仕事をすることで消していたんだと思います。
「もっと頑張らなきゃ」は、どこまで行けば終わるのか
休んでいるときに、
「もっと頑張らなきゃ」
と思ったら、一度だけ考えてみてください。
どこまで頑張れば、私は自分に休んでいいと言えるんだろう。
仕事が全部終わったら?
昇進したら?
年収が上がったら?
資格を取ったら?
周りより仕事ができるようになったら?
たぶん、一つ達成したら、また次が出てきます。
仕事はなくなりません。
成長にも終わりはありません。
上を見れば、いつでも自分より頑張っている人がいます。
だから、
「十分頑張れたら休む」
というルールだと、いつまでたっても休めないことがあります。
休むことを、頑張った後のご褒美だけにしない。
これからも動くために必要な時間として予定に入れてしまう方が、
私はいいと思っています。
休んでいるときに仕事を思い出したら
休んでいる最中に、仕事のことが頭に浮かぶことはあります。
無理に、
「考えちゃダメだ」
と追い出さなくても大丈夫です。
思い出したら、スマホのメモに一行だけ書く。
「月曜日、〇〇さんに確認する」
それだけ。
そして閉じる。
今すぐ解決しない。
今すぐメールしない。
今すぐ資料を開かない。
忘れないように外へ出して、休みに戻る。
仕事について考えない人になる必要はありません。
ただ、思いついた仕事をその場ですべて処理しなくてもいい。
今日の予定に「休む」を入れてしまう
休むことに罪悪感がある人ほど、
「何も予定がないから休む」より「今日は休む予定」
と決めてしまった方が楽なことがあります。
たとえば、
14時から16時までは何もしない。
夜は仕事のメールを見ない。
今日は勉強しない。
お風呂に入ったらスマホを置く。
何でも構いません。
ポイントは休むことを予定が空いた結果ではなく、
自分で選んだ予定にすることです。
すると、ぼーっとしている時間も、
「サボっている」
ではなく、
「予定通り休んでいる」
に少し変わります。
「休む=怠ける」ではない
怠けることと、休むことは同じではありません。
私は、ここを分けて考えた方がいいと思っています。
やるべきことからずっと逃げ続けることと、
疲れを回復させるために一度止まることは違う。
少し休んだからといって、これまで頑張ってきたことがなくなるわけでもありません。
今日一日何もしなかったからといって、仕事ができない人になるわけでもありません。
真面目な人ほど一回休んだだけで、
自分が全部だらしなくなってしまうような感覚を持つことがあります。
でも、そんなに簡単に、これまで積み上げたものはなくなりません。
自分が大切な人だったら、今日は何と言うだろう
もし友達が、
「最近ずっと仕事が忙しくて疲れた。でも休日に寝ていると罪悪感がある」
と言ってきたら何と答えるでしょうか。
たぶん、
「そんなに頑張ってるなら休みなよ」
と言うと思います。
「今日くらい何もしなくていいじゃん」
と言えるかもしれない。
それなのに自分には、
「もっと頑張れ」と言ってしまう。
自分にだけ、異常に厳しい基準を使っていないか。
一度確認してみてください。
他人に向けられるやさしさを自分にも少しだけ使っていいと思います。
何もしなかった日ではなく、「休めた日」
今日、何もできなかったとしても、
それを「何もできなかった日」と呼ばなくてもいいと思います。
「今日は休めた日」
でもいい。
仕事で頑張る日がある。
新しいことを学ぶ日がある。
誰かのために動く日がある。
そして、
何もしない日もある。
全部が必要です。
ずっと頑張り続けなくても、
また動きたくなったら動けばいい。
休んでいるときまで、自分を追い立てなくても大丈夫です。
今日休んだことは、明日の自分に渡す、少しの余白です。
次に読むなら
もし、休んでいても罪悪感が出てしまう理由が、
「まだ頑張れるのに休んではいけない」と思ってしまうこと
なら、
次は、
「仕事を頑張りすぎて疲れた人へ|『まだ頑張れる』と『休みたい』の間で考えたいこと」
を読んでみてください。
限界になる前に休むことを自分に許すための記事です。

