みなさんは、デヴィ夫人がクォーターであるという噂の真相について知りたくはありませんか?
また、デヴィ夫人の両親(父親・母親)についても知りたくはありませんか?
という事で今回は「デヴィ夫人はクォーター?両親(父親・母親)についても徹底調査!」と題して記事をお届けいたします!
デヴィ夫人がクォーターであるという噂の真相について!
デヴィ夫人の両親(父親・母親)について!
ぜひ最後まで楽しんでご覧ください!
デヴィ夫人はクォーター?両親(父親・母親)についても徹底調査!
さて、「デヴィ夫人はクォーター?両親(父親・母親)についても徹底調査!」という内容に入っていく前に、まずはデヴィ夫人に関する基本情報について見ていきましょう!
デヴィ夫人に関する基本情報
デヴィ夫人すげぇなーって見たせいで pic.twitter.com/H67C3Pzgo8
— ゆうかもちゃん🦆 ☻ (@youkass_) January 1, 2025
本名 | ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ Ratna Sari Dewi Sukarno (インドネシア名) 根本 七保子(ねもと なおこ) (旧名・日本名) |
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別名義 | デヴィ夫人 |
生年月日 | 1940年2月6日 |
出身 | 東京府東京市麻布区霞町(現:東京都港区西麻布) |
国籍 | インドネシア |
身長 | 159 cm |
血液型 | A型 |
職業 | タレント |
デヴィ夫人は、インドネシアの初代大統領スカルノの第3夫人として知られている人物です。
彼女は、1959年に19歳でインドネシアに渡り、1962年にスカルノ大統領と結婚しました。
デヴィ夫人がスカルノ大統領からプロポーズされた時の言葉に「be my inspiration」という一節があって、日本で使うインスピレーションと少し違うニュアンスだな、でも素敵な言い方だなと思ったことがある。 pic.twitter.com/kTbYGO52ka
— AI (@ai_777) July 18, 2024
しかし、1965年に起きた軍事クーデターによりスカルノ大統領が失脚し、デヴィ夫人はフランスに亡命することになりました。
その後、デヴィ夫人は世界的なセレブとして活躍し、日本でもタレントとして活動。
芸能活動を始めたのは1970年代からになります。
現在デヴィ夫人は、芸能活動を行う傍ら、NPO法人アースエイドソサエティ総裁や株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役を務めています。
そんなデヴィ夫人について調べていると、「デヴィ夫人 クォーター」というワードに検索数が集まっていることが分かりました。
クォーターとは、祖父母の内1人が他民族・他人種・他国籍であること
デヴィ夫人はクォーターなのでしょうか?
デヴィ夫人はクォーターでない可能性が高い
結論から言いますと、デヴィ夫人はクォーターではない可能性が高いと思われます。
その理由は、デヴィ夫人の両親(父親・母親)が純日本人である可能性が高いと考えられるからです。
その理由について、これから説明していきますね。
デヴィ夫人の両親(父親・母親)について
デヴィ夫人の両親については、2018年に放送NHK総合テレビジョンのファミリーヒストリーという番組にて紹介されていました。
デヴィ夫人の実家である根本家は、大きな船を持つ漁師だった。それが今回、元は有力な武士であったが、関ヶ原の戦いの後、ある理由で漁師になったという事実が明らかになる。その後、父の代で東京西麻布に移り住み、大工をしていた父と母が運命の出会いを果たすことに…。さらに番組では、大統領夫人となって直面したクーデター、インドネシアでの激動の日々についても紹介する。
引用元:©エムティーアイ(https://music-book.jp/video/news/news/200909)
その番組内で、デヴィ夫人の両親は日本人であると紹介されていたようです。
実際のデヴィ夫人の両親のお写真はこちら👇
デヴィ夫人は混血ではなく両親は生粋の日本人。なのにあの端正なお顔立ち?御両親がさぞかし日本人離れしたお顔立ち、と昔の父親の写真と若かりし御本人の娘時代の写真を見ると。。。二重の線がまるでサインペンみたい。もう整形とか全然良いのよ。アタシはそこじゃない所で彼女を尊敬してるの! pic.twitter.com/4POOBbg1Tw
— けいこ姉 (@keiko_nei) March 14, 2018
デヴィ夫人の両親は、お2人とも可愛らしいお顔をされていますね!
顔立ちも整っておられるので、デヴィ夫人が非常にお綺麗なのも納得できます。
ここからはデヴィ夫人の両親おひとりおひとりについて説明いたします。
デヴィ夫人の父親
デヴィ夫人の父親は、名前を根本兵七さんといいます。
根本の家系は、代々漁師をやっていたのですが、デヴィ夫人の父親は、麻布区霞町で大工の棟梁をやっておられたそうです。
ですが病気持ちであったために、あまり多くは働けませんでした。
そしてデヴィ夫人が16歳(高校一年生)の時、父親はこの世を去ってしまいました。
また根本家には多額の借金があったようで、デヴィ夫人は、幼いころから働きに出て、家庭をささえていたそうです。
ちなみにデヴィ夫人が働き始めたのは、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」という場所だったそうです。
デヴィ夫人の母親
母親の名前は根本まさ(旧姓:笠原)さんと言います。
残念ながら、デヴィ夫人の母親に関する情報は少ないのです。
ですが分かっていることとして、デヴィ夫人とスカルノ大統領の交際が判明した際に、マスコミに執拗に付きまとわれたことが原因で、母親は危篤状態に。
そのまま亡くなってしまったと言います。
聞くだけで、悲しくなる話ですよね。
デヴィ夫人と両親の過酷な人生
さて、ここまででもデヴィ夫人とその両親がかなり壮絶な人生を送って来られたことは分かっていただけるかと思います。
加えてデヴィ夫人は、両親とともに空襲も経験しています。
父親を残し、デヴィ夫人は母親と弟とともに福島県に疎開したそうです。
それを考えると、デヴィ夫人がどれだけ強い人なのかが良く分かりますよね。
その他、デヴィ夫人の親族情報
さて、デヴィ夫人がクォーターであるという話題から少しそれてしまいましたが、先ほどのファミリーヒストリ―で判明しているデヴィ夫人の親族情報をまとめておきます。
- デヴィ夫人の父方の祖父…根本兵三郎(漁師・海産物店経営者)
- デヴィ夫人の父方の曽祖父…根本兵吉(茨城県の漁師)
- デヴィ夫人の母方の祖父…笠原房治(千葉で農家)
残念ながらデヴィ夫人の祖父母に関して分かっていないことも多いですが、名前や職業、そして両親の顔立ちなどから、デヴィ夫人はクォーターではないと考えるのが自然でしょう。
なぜデヴィ夫人は、顔立ちがクォーターっぽいのか。
ではなぜ、デヴィ夫人は顔立ちがあんなにもクォーターっぽいのでしょうか?
考えられる理由をいくつか挙げてみたいと思います。
デヴィ夫人は顔立ちがクォータっぽい理由⓵顔が外国人の顔立ちに似ているから
デヴィ夫の顔立ちがクォーターっぽい理由の1つ目は、顔が外国人の顔立ちに似ているからです。
つまりは、偶然そのような顔立ちに生まれてきたということですね。
色白で鼻が高く、とっても美人な方です。
先ほどの写真は白黒で分かりにくかったですが、ご両親にも外国人っぽい顔立ちの要素があったのかもしれないですね。
デヴィ夫人は顔立ちがクォータっぽい理由②外国で生活していたから
デヴィ夫の顔立ちがクォーターっぽい理由の2つ目は、外国で生活していたからです。
デヴィ夫人は長らく外国で生活をされていました。
その中で、もともとの容姿は変わらずとも、化粧の仕方や細かな仕草、話し方などが外国人っぽくなったのではないでしょうか?
デヴィ夫人は顔立ちがクォータっぽい理由③整形疑惑があるから。
デヴィ夫の顔立ちがクォーターっぽい理由の3つ目は、整形疑惑があるからです。
これはデヴィ夫人に関してずっと言われていることなのですが、デヴィ夫人は整形して顔を外国人っぽくしたのではないかという疑惑があります。
ですがデヴィ夫人が整形をしているということを確証づける証拠はなく、あくまでも噂止まりです。
またデヴィ夫人が若い頃は、まだまだ美容整形の技術が広まっていない時代。
しかもお金に困っていたデヴィ夫人が、当時整形を受けられる余裕があったとは思えません。
よって個人的には、この整形疑惑は間違いなのではないかと見ています。
デヴィ夫人は顔立ちがクォータっぽい理由④先入観
デヴィ夫の顔立ちがクォーターっぽい理由の4つ目は、先入観です。
もちろんデヴィ夫人が外国人顔であることは事実です。
それに加えて、デヴィ夫人が長年が日本国外で暮らしていたこと、また外国の大統領の夫人であったことなどの情報を知っていると、クォータっぽく見えてしまうというのはあると思います。
この記事のまとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は「デヴィ夫人はクォーター?両親(父親・母親)についても徹底調査!」と題して記事をお届けいたしました!
デヴィ夫人はクォーターではない!
デヴィ夫人の両親(父親・母親)は純日本人である可能性が高い!
最後までお読みいただきありがとうございました!