みなさんは、ドラえもんのキャラクターであるジャイアンの歴代の声優さんについて知りたくはありませんか?
また、ジャイアンの歴代の声優さんが変わったタイミングや理由についても知りたくはありませんか?
ということで今回は「ジャイアン・声優の歴代まとめ!変わったタイミングや理由も解説!」と題して記事をお届けいたします!」
ドラえもんのキャラクターであるジャイアンの歴代の声優さんについて!
ジャイアンの歴代の声優さんが変わったタイミングや理由について!
ジャイアン・声優の歴代まとめ!変わったタイミングや理由も解説!
ドラえもんに関する基本情報
「ドラえもん」は、藤子・F・不二雄さんが手がけた漫画作品です。
1969年に小学館の雑誌にて連載がスタートし、1996年まで続きました。
またテレビアニメは1973年から放送を開始。
現在もなお放映され続けており、たくさんの方々に愛される作品です。
22世紀の未来からやってきたネコ型ロボット・ドラえもんと、勉強もスポーツも苦手な小学生・野比のび太が繰り広げる日常生活を描いた作品。
ドラえもんの出す「ひみつ道具」という未来の道具を中心に物語が展開していく。
さて、ドラえもんに登場するメインキャラの1人に、今回の主題となるジャイアンこと剛田武(ごうだたけし)がいます。
愛称 | ジャイアン |
---|---|
国籍 | 日本 |
肩書き | 小学生 |
親戚 | ジャイ子(妹) 剛田ヤサシ(長男) |
誕生日 | 1964年6月15日 |
ジャイアンの作中での立ち位置は”いじめっこ”であり、のび太を始め沢山の友人に暴力を振るったり、ものを借りパク(借りたものをそのまま返さない行為)したりなど、たくさんの悪行を働きます。
一方で友情、人情にはめっぽう厚く、別のいじめっこからのび太を守ったり、みんなのやる気の火付け役になったりします。
ちなみに映画ドラえもんにおけるジャイアンは非常に魅力的であり、なくてはならない存在ともいえるでしょう。
そんなジャイアンについて調べていると、「ジャイアン 声優 歴代」「ジャイアン 声優 変わった」など、ジャイアンの声優さんに関する世間の関心度が非常に高いことがわかりました!
ちなみに”歴代”という言葉からも分かる通り、ジャイアンの声優さんは何度か交代しています。
ということで今回は、ジャイアンの声優さんを務められてきた歴代の方々のプロフィール・経歴や変わったタイミング・理由などについてまとめていきます!
ジャイアンの声優・歴代⓵肝付兼太
ジャイアンの声優・歴代の1人目は、肝付兼太さんです!
本名 | 肝付 兼正(きもつき かねまさ) |
---|---|
出身地 | 鹿児島県揖宿郡喜入町(現・鹿児島市) |
生年月日 | 1935年11月15日 |
没年月日 | 2016年10月20日(80歳没) |
血液型 | AB型 |
事務所 | 劇団21世紀FOX(初代主宰)、81プロデュース(最終所属) |
配偶者 | あり |
- ウメ星デンカ
- アルプスの少女ハイジ(セバスチャン)
- パーマン(パーマン4号 / パーやん)
- それいけ!アンパンマン(ホラーマン〈初代〉) など
肝付兼太さんの経歴
肝付健太の声優デビューまで
肝付兼太さんは、鹿児島県出身で、幼少期に東京へ移りました。
そして肝付健太さんは、戦争の時代を経験しています。
戦時中には群馬県と山梨県へ疎開し、戦後には東京の帝京中学校・高等学校に進学しました。
肝付兼太さんが芸能界に興味を持つきっかけとなったのは、中学生の時にラジオドラマを聴いたことでした。
これがきっかえとなり「声優」の道を目指すこととなった肝付兼太さんは、高校在学時に演劇部を立ち上げ、木下順二の『夕鶴』の上演をきっかけに演劇の道へと進みました。
そして肝付兼太さんは、高校卒業後に就職すると同時に、劇団七曜会にも参加。
七曜会解散後は、千葉耕市が設立したプロダクションに所属する道を選びます。
そして肝付兼太さんは、1956年に映画『こぶしの花の咲くころ』で初めて演技の経験をしました。
彼はここから、声優としてのキャリアを積み重ねていきます。
- ラジオドラマ『婦人の時間』
- 海外ドラマ『地方検事』
- 国産アニメの『0戦はやと』『ビッグX』『エイトマン』
また1973年には『ジャングル黒べえ』の主役を演じ、また『ドラえもん』で骨川スネ夫の声を26年間にわたって担当しました。
実は肝付兼太さんは、スネ夫の声もジャイアンの声も担当されていたのです!
また肝付兼太さんは、2005年から2012年にかけて数々の賞を受賞しました。
- 田山力哉賞
- アニメーション神戸特別賞
- 東京国際アニメフェアの功労賞
- 声優アワードの功労賞 など
このようにたくさん賞を受賞されていることから、その演技力が客観的な支持を集めていることがよくわかりますね!
ここまでたくさんの活躍を見せていた肝付兼太さんですが、2010年には肺がんと診断されてしまいます。
それから肝付兼太さんは、病気と必死に戦いながら、声優として活動を続けていました。
しかし、2016年5月に肺炎と診断され、10月には亡くなられました。
彼の最後の出演作品は『ラジオ深夜便』の「時代を創った声」シリーズでした。
肝付兼太さんがジャイアンの声優を変わった理由とタイミング
結論から言いますと、肝付兼太さんが声優を変わった理由は、ドラえもんを放送するテレビ局が変わったからだと言われています。
また声優が変わったタイミングですが、肝付兼太さんは、1973年4月から9月までジャイアンの声優をつとめられていました。
これは、ドラえもんのアニメの記念すべき第一作の放送期間であり、当時は日本テレビで放送されていました。
そして1979年4月から2005年3月にかけて、テレビアニメ第2作1期が放送され、この時には2代目声優のたてかべ和也さんがジャイアンの声を務められていました。
これを機に放送局は、日本テレビから現在のテレビ朝日に変わりました。
よってジャイアンの声優が肝付兼太さんからたてかべ和也さんに変わったのは、1979年4月と言えるかもしれません。
ジャイアンの声優・歴代②たてかべ和也
ジャイアンの声優・歴代の2人目は、たてかべ和也さんです!
本名 | 立壁 和也(たてかべ かずや) |
---|---|
愛称 | カベさん |
出身地 | 北海道虻田郡喜茂別町 |
生年月日 | 1934年7月25日 |
没年月日 | 2015年6月18日(80歳没) |
血液型 | A型 |
事務所 | ケンユウオフィス(永劫所属) |
配偶者 | なし |
- 鉄腕アトム (アニメ第1作)
- 怪物くん(ドクター・イエス)
- タイガーマスク
- サザエさん(穴子〈初代〉)
- ヤッターマン(トンズラー) など
たてかべ和也さんの経歴
たてかべ和也さんは、北海道の虻田郡喜茂別町で生まれ、小学2年生の時に家族と共に東京都世田谷区下北沢に移住しました。
そしてたてかべ和也さんも、戦争の時代を生き抜いてこられた方です。
戦時中には長野県に疎開していましたが、東京に戻った時にたてかべ和也さんが惹かれたのは野球でした。
中学在学中、たてかべ和也さんは野球に熱中しました。
そしてたてかべ和也さんが演劇に興味を持つようになったのは、高校に入ってからのこと。
人手が足りないから出て欲しいという頼みを受け入れ、演劇部の講演に参加しました。
この経験があったことで、勉強が嫌いだったたてかべ和也さんは、「演劇なら勉強よりましかも」と考え、日本大学芸術学部演劇学科に進学しました。
そしてたてかべ和也さんは、もともとテレビのプロデューサーになりたいと思っていましたが、その夢は断念。
日本テレビの大道具係として経験を積みました。
それと並行して、大学の同級生と劇団を結成し、北海道札幌市で公演を行うなどしました。
その後、かつて声優・ナレーターなどとしてご活躍された小林清志さんの誘いにより、劇団泉座に入ることになり、そこから声優としてのキャリアが始まりました。
その後たてかべ和也さんは、自身の事務所オフィスを設立。
社長をしながら声優としても活躍されていました。
そしてたてかべ和也さんも同様に、たくさんの受賞歴をお持ちです👇
- 第14回日本映画批評家大賞・田山力哉賞
- 第11回アニメーション神戸特別賞
- 東京国際アニメフェア2007・第3回功労賞
たてかべ和也さんも非常に偉大な人物であったことがわかりますね
そんなたてかべ和也さんは、2009年に胃がんが原因で胃を全て摘出しました。
これにより癌の再発こそなかったものの、2015年6月18日に急性呼吸不全で息を引き取られました。
たてかべ和也さんがジャイアンの声優を変わった理由とタイミング
結論から言いますと、たてかべ和也さんが声優を変わったのは、高齢になられていたのが理由だと言われています。
2005年時点で、たてかべ和也さんは既に70歳を超えておられました。
次世代育成という意味もあったかもしれません。
また声優が変わったタイミングは、テレビアニメ第2作2期の放送が開始した、2005年4月でした。
ジャイアンの声優・歴代③木村昴
ジャイアンの声優・歴代の3人目は、木村昴さんです!
本名 | スバル・サミュエル・バーチュ |
---|---|
出生地 | 東ドイツ・マクデブルク県ブランケンブル |
生年月日 | 1990年6月29日(33歳) |
血液型 | O型 |
身長 | 183 cm |
職業 | 声優、俳優、タレント、司会者、ラッパー、ナレーター |
事務所 | アトミックモンキー |
- 黒子のバスケ(パパ・ンバイ・シキ)
- 暗殺教室(寺坂竜馬)
- ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風(ペッシ)
- 呪術廻戦(東堂葵) など
木村昴さんの経歴
木村昴さんは、ドイツ出身の日本人ハーフで、父親はオペラ歌手、母親はバロック音楽のソリスト(独唱者・独奏者)です。
ドイツでの生活後、日本に移住し、子役として活動を開始しました。
2002年にミュージカル『アニー』に出演、その後、ものまね番組に出演するなど様々な経験をされました。
2005年にはアニメ『ドラえもん』でジャイアンの声を担当し、声優としての仕事をスタート。
この時木村昴さんはまだ14歳でした。
ジャイアンの声優の歴代2人目であるたてかべ和也さんとはとても仲が良かったようです。
高校卒業直後の2009年には、自身で劇団「天才劇団バカバッカ」を立ち上げ座長となり、劇団活動も行っています。
そして、2019年には『ヒプノシスマイク』での活躍が評価され、第13回声優アワードの歌唱賞を受賞。
現在は自身のyoutubeチャンネルも運営するなど、非常に幅広く活躍されています。
木村昴さんがジャイアンの声優を変わった理由とタイミング
結論から言いますと、木村昴さんは2005年から現在まで、ジャイアンの声優をされています。
ということで、木村昴さんのジャイアンとしての今後さらなるの活躍が期待されます!
以上が、「ジャイアン・声優の歴代まとめ!変わったタイミングや理由も解説!」の内容です!
この記事のまとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は「ジャイアン・声優の歴代まとめ!変わったタイミングや理由も解説!」と題して記事をお届けいたしました!
ジャイアンの歴代声優は、肝付さん、たてかべさん、木村さんの3人!変わった理由とタイミングは本文参照!